こんなメンバーで学んでいます

こんなメンバーで学んでいます
クリスマス会での集合写真

2011年10月26日水曜日

どうやってそんな風に英語ができるようになったの?とクラスメイトに聞かれたときの答え

「う~ん、3歳からやってたからね。」と高3の娘は答えるそう。

そんな身も蓋もない言い方をしたら、答えを聞いて自分も真似できるところはまねしてみようかなと思う子はがっかりだろうとおもったのですが、真意を聞いてみると、
「苦労して、がんばってがんばって、こうなったという感じが全然ない。気づいたら自然にできるようになっていたから。」とのこと。

それをそばで聞いていた夫が、「良かったね、ラボやっていて。」とひとこと。

他にも大学生が、英語のテストを受けて点数がよかったので、授業を受けずに単位をもらえるたとかのメリットもあったらしく、夫がその子のお父さんに「ラボをやってたおかげです。」とお礼をいわれたそう。

先日、娘の学校で付属の大学に進学するための学力テストがあり、そのときも英語の点数がとれるメリットを感じたらしい。
 何回か受けるテストの総合得点のいい人から、希望の学部にいかれるシステムで、5教科300点満点のなかで、英語の配点が115点。
  文化祭だなんだで、英語については「無勉」でのぞんだのに、かなりの点がとれて、25点満点の教科の点数が悪くても、英語で点数がとれて、そこそこの結果に。

 ラボをはじめたときは、どこの国のどんな年齢の人とでも、、こころをわって話せる子にしたいというのがゴールに思っていたけれど、こんな時代になってくると、「英語が出来ると得だわ~」というひとごとのような感想の発言につながる。

 これから卒業まで、ホームステイ先のホストシスターが一ヶ月ほどうちにステイしにきてくれるという楽しく、ラッキーな機会もあるし、本人もめずらしく(笑)、「DVDみたり、本を読んだり、英語磨きをしたい」といってるので、私も一緒にレベルアップしたいと思います。
 

成長のきっかけはどこにころがっているかわからないから、見限らない姿勢は大切

ハロウィンの仮装、どうする?
やっぱりラボキャラクターですかね?
そうだね~。

セリフもひとこと言えるようにってお知らせに書いておいてね。

今年の仮装対象は、Aちゃん。ガンピーさんの歌が上手に歌えたのが評価されたと思われます。
仮装はちょっと・・・・の年齢になっていたけれど、そらいろのいえを上手に家族で作って「わくわくワークス」にも出来たのでは?というY君も、昨年に引き続き受賞。
うさぎのセリフがうまかった、Mちゃんも受賞。
この賞品が、お菓子とかではなくて、手作りの素敵な表彰状だったところがいいと思う。

物でなくて、ことばで表彰されるのを喜べるのは、精神的な悦びだと思うから。

今年も、仮装はなくてもいいしとか、ラボキャラでなくってもとか、流されず、セリフつきでラボキャラクターの仮装にしたのが大正解。
 みんな、お互いに知っている登場人物が、あちこちにいる!という感じで楽しい一日でした。

2011年10月19日水曜日

ピンポンダッシュかと思ったら・・・。

家の外をだだだっと若者の足音が聞こえて、うちのチャイムがなりました。
「?」と思って、インターホンをとると「Tです。」「Yです。」と生徒さんの声。

ハロウィンの打ち合わせかな・・・と思って出てみると、
「お誕生日おめでとうございます!!」といってプレゼントとお手紙。

塾にいくとこかな?とさんざん立ち話してから、「上がる?」といってうちの中へ。
その後、がちゃっと扉があいてまた一人。
また一人。
そうこうするうち、生徒さんがいることを知らない娘がケーキを買って帰ってきて、
みんなで誕生日の歌を歌ってくれて、ローソクの火を吹き消しました。

進路の話、学校の先生の話、いろいろして、久しぶりの子も昨日会ったばかりの子もいろいろいて。みんないい子です。


最後に「じゃあ、握手で」といって、一人ひとりと握手をして、あったかい、おっきい、小さいなどといっていたら、娘に「握手して、コメントはそこかい!」といわれてしまいました。
 マイペースなテューターである私と、こんな風につきあってくれる子どもたちがいることも本当にありがたいことです。

2011年10月13日木曜日

「気づいたことは気づいた人のもの」のようでいて、そうではない。

合宿に実行委員として参加していた高校生から、反省会でいくつかの「気づいたこと」があげられた。

この子は、今回、苦しい体験をしながらも本当にいいことに自分で気づけたんだなと、こちらに伝わってくるものもある反面、去年と同じ「準備不足でした」という反省を安易にして終わってしまう子もいた。

苦しみ、傷つきながらも、深く「気づいた子」は、きっとこの先、伸びていく。
でも、今回、じっくり中高大生の様子を見ていて、私が感じたのは、この子一人が気づいて直しても、本当の意味での成長にはならないということ。
足りないのは、自分が苦しみながらも出来るようになったことがあり、もし、それをのんきに見過ごしてそのままにしている仲間がいるなら、黙ってないで、「ここ、がんばろうよ。」と気持ちをぶつけること。

お互いに遠慮して、自分だけで自分を高めようとしても限界がある。
気づいたことを気づいた人だけが、直しても、小さな成長しかない。

せっかく仲間として同じことに向かう人たちがいるのだから、自分もとことんがんばって、出来てないなって相手がいたら、自分も傷つくこと覚悟で、しっかり伝えてみるといいと思う。

 そうすれば、自分にも本気で向き合ってくれる人が出てきて、そこに苦しさ、葛藤は生まれるけれど、自分ひとりでは成し遂げられなかったことが出来ていく。

2011年10月2日日曜日

小学生から高校生まで遊んでいたことを仕事にできてる人って、いるんだ。

きょうは、ラボOBで声優の森久保祥太郎さんのお話をテューターの会総会で聞く機会がありました。

 ラボをやっていた10年間と同じことを、そのあとの20年も仕事としてやり続けているようなものといって笑ってらっしゃいました。
 ラボで得たものは大きく、おおざっぱにいえば三つとのこと。
1 人とつながることの楽しさ、すばらしさを知る
2 想像する 創造することの楽しさ すばらしさ
3 もう一歩つっこむことの楽しさ すばらしさ(100点とって終わりたくない。もう一歩努力する)


私の中高生時代は、学校の雰囲気もあり、やりたいことより、やるべきことに目がむいて暮らした時代だったようにおもいます。


 そして、努力さえすれば何でも手にはいるというような一種の神話があり、それも、「努力」の内容は主に受験やテストのための勉強で、「手にはいる」ものは、その当時の社会の価値観で決められた成功、高学歴だったり・・・。それに追従してたわけではありませんが、たくさんあるものの中から、自分の好きなことを見つけて、それに熱中というわけでもなかった。


 そんな流れの中で生きた私には、森久保さんが小2ぐらいではじめたラボのテーマ活動(英日の演劇 話のテーマを追求して表現)や交流活動を楽しみ、自称「今でも似たようなことをやっている」とおっしゃるのが衝撃的。

好きなことをして生きてきた人に対して抱きがちな人物像とは違い、人として、落ち着いた暖かい輝きをはなっている。
自分を知り、自分の好きなことをする子ども時代。そのまんま進んでいって、自分に輝くものがあり、それが好きな仕事にも結びついていった・・・。

なんかこうまとめていると、楽天的みたいな響きですが、「つらいことがあったときはどうしますか?」の質問に「自分にしか見せないノートに、今、自分は何を考えてるのか、冷静に考えてかくようにしている。」俯瞰で見るとのこと。
 違うなあと、ますます感心。やはり、自分を知ることが大事で、楽しくないことをうじうじやるのではなく、ラボで得たといってくれる「想像力」できっと、まず、いいものをイメージし、そこに到達するための手段を、ひとつずつ考えていかれたのでしょう。
 大きい子を見て、憧れたら、自分もそうなりたいと思い、そこに到達するためにはどうすればいいか、5年後からだんだん近づき、今日、何をすればいいか考えるという子ども時代も、人よりも精神的成熟が早い気がしました。
 
 きょうのOBOGの話をきいて、私はテューターとして、「その子らしい楽しい人生を生きる手伝いをしたい」、それが自分の好きなことだと再確認。
 考えるのにとても良い機会をもらえた日でした。