こんなメンバーで学んでいます

こんなメンバーで学んでいます
クリスマス会での集合写真

2012年2月27日月曜日

個人ききとりレッスン日程

Labo Ochi Party  個人レッスン進行中


聞き取りレッスンをラボ歴も年齢も違う子達が取り組んでいます。
記憶(メモリ)の総量
聞こえる音 聞き取れる能力 
口が動くかどうか 

聞き取ったものを、そのままにいう度胸があるかどうか

いえるかどうかは別にして、なんらかの音が聞き取れない人はいない。
それを、何でも良いから聞こえたとおりにいってみてといわれても、いえない子もいます。
本当に一人ひとり違います。

日ごろの英語の音を聞く量が、聞き取って言葉をいおうとするときに、物をいうのがわかります。
発表会の前に、急に聞き取って言おうとしてもだめで、やはり耳をならしておくことが大事。

聞き取りレッスンから、私自身もあらためて、それぞれの子の学び、英語の音との関わり方、
成長について、気づくことがありました。
聞き取りレッスン等が落ち着いて、時間ができたら、聞き取りいろいろアップしたいと思います。

2012年2月8日水曜日

シェークスピアが相手でよかったんだと思う

中学生以上のクラス、春、15周年発表会でピーターパン。夏にはオバケのQちゃんを発表。
次、何にする?いつもと同じ感じで選びはじめた。
プロメテウスの火 ペルセウス オオクニヌシ 耳なし芳一 ナイチンゲール ロミオとジュリエット ジュリアスシーザー バーバーヤガー アリババ 不死身の九人兄弟 ひとうちななつ 三人のおろかもの はだかの王様 幸福な王子 ざしきぼっこ 平知盛等が候補にあがる。
 その中で、小さい子も一緒にやりたいものはとりあえずはずし、さらに絞り、気づくと平知盛とジュリアスシーザーの一騎打ち。

 知盛とシーザーにしぼる過程で、来年、パーティ初の卒業生を出すから、記念にオーディションにも出ようかという話になってくる。
 一ヶ月以上もどちらにも決められず、CDもない子が多いので、テューター宅のポストを受け渡し場所に、みんなで回覧して聞く。
 いろいろあって結局シーザーに決まり、冬に休会中の子も含めてライブラリーをそろえやっとスタート。

12月は早いセリフをいうので精一杯。 ローマ人の物語(塩野七生)も読んでみようと提案。中学生は撃沈。大きい子の中に数名読んだ子が出て、シーザーとその時代について学び、
「暗殺された日は、元老院がシーザーを帝王の座につかせようとするかもしれない重要な日であった」ことなどがわかる。
 ローマのシーザーの話なのか、シェークスピアのシーザーなのか、それによって違うよねという声もあがる。
 セリフが言えるようになり、背景の表現が思いつかなくて、それぞれにとって本当に苦しい時間がはじまる。
 参考になるかと思い購入してみたエミー賞受賞「ローマ」のDVD12枚組み。元老院の様子やトーガの着こなし、当時のファッション等はわかったものの、残酷な刺激の強すぎる映像なので、大学生にすら見せることが出来ない・・・・・。 
  めずらしく娘と二人、朝から一日、ブルータスのセリフの背景を考える日もあったが、何も生まれず、あまりに苦しい時間。
 それぞれが考えてきた背景  具象と抽象の入れ方が全く逆だったり。中2以下は、物も言えない日々が続く。毎回のパーティが放っておくと重苦しいものになりそうなところを、「にもかからわず笑う」的なみんなの明るさで乗り切る綱渡り。
 そんななか、地区の発表会を見に行った中3二人が、テーマ活動の動きについて何か気づいて帰ってくる。
 でも一月も苦しい。
「精神の支配者たる理性と、その臣下たる感情が激論を戦わせはじめる」とか
「若々しい野心が足をかける梯子」とか、Qちゃんには出てもこなかったような言葉に翻弄され
自分たちがその場面で何を表現したいのか、本当にわからなくなる。

 よしんば、セリフの気持ちは理解できても、それを表現しようとなると背景に何を作っていいのか、
R ブルータスの理性と感情 明らかだから、上下だけだとあらわしにくいから左右も使う
Y 舞台は広い 二つにわけると人数がへる 二つの対立をやってみてもいいけれど、一つのものが、全員で両方 自分の中に2人の人 みんな固まっていて、そのなかでたとえば 理性と感情 
などという意見は出るも、ぴんとくるものが作れず。
何をどうすればいいのかもわからなくなってくる。

私はライブラリー委員になり、シェークスピア研究をするのをきっかけに評論を読み、劇を見に行く。同時に、娘が大学入学のための面談準備でシェークスピアの伝記を読み、教授たちにシェークスピアについて激しく語られる。
 「シェークスピアって、すごいんだね。もう一回、そこにもどろう。」
すると、ラボ的に背景を考えるという習慣をいったん置いて、ラボ的にはCDに限りなく忠実に英語も日本語もテンポも大切にして、そこに生まれるものを観客と共有する、つまりシェークスピア的なやり方にしようとひらめき、大学生の集まりで納得され、昨日は、中高生も含めて、方針を確認。

やっと扉が開きました。昨日は、みんな生き生きとどんなセリフも言うことが気持ちよさそうでした。