日経の「それでも親子」というコラムに歌手クミコさんのインタビューがのっていました。「愛された記憶」が財産というタイトルで。
私もここのところ、親には照れくさくて言えないけれど自分の中ではっきりわかってきたのが親に、愛された記憶、感覚がいかに自分にとって大切な感情かということです。
体験したことのない感情を理解するのは、難しい。寒い国にいったことがない人に、寒いという感情がないように。
何の根拠もないし、現時点で誰から言われるわけでもないのですが、自分の中にある「愛されている」という感覚は、実は幼いころに親から与えられたものだと感じるのです。
私の両親は幸いなことに健在ですが、もしいなくなってしまっても、私がもらった自分が愛されうる存在だという大事な感覚は、一生消えることがないだろうというのも感じます。いなくなってしまったら寂しいでしょうが、一度自分の中に入っている感覚は消えない。
かわった人と思われるかもしれませんが、青空に向かって「愛してくれてありがとう。」と言えてしまうような感覚。
以前は、自分が神様から愛されている存在であるということを、まずは親が愛してくれることで体感させてくれる、教えてくれるんだと、逆に考えていました。(神様といっても、特別な信仰心はないのです)
でも、親が、何のとりえもない、ウィンウィンどころか、世話をしなければならない対象である私という子供、存在を大切にしてくれたこと、そのことが私に、もっと大きな自然、宇宙から愛されていると感じさせてくれる偉大な行為だったのだなあと感じます。
愛された記憶が財産とは、私についていえばそういうことだなあと。
クミコさんは「相手が話したいことを聞いてあげることが最高の親孝行」だと思うそうです。
えらい!いつも忙しがってる私にはできてないこと。一日5分でも親孝行しなければね。
0 件のコメント:
コメントを投稿