こんなメンバーで学んでいます

こんなメンバーで学んでいます
クリスマス会での集合写真

2014年3月26日水曜日

有効な質問は出来るけど、有効なことばがけはたまにしかできない。

子ども達に質問をなげかけることは意外と簡単にできる。

でも、有効なことばがけをして、行動を変えるのはとても難しい。
どんな言葉が、その子に響くのか。

きょうは、数少ない有効な言葉がけが出来た日。
そして、準備せずにいったことは、今思い出せない。
ただ、こどもたちが私のことばを繰り返し、行動を変えたのだけは
わかった。

きょうは、Xがリーダーだよ。時間通りに進んでないね。
Xがいきなり「はやく はやく!」
 人の動きを見てない。人の気持ちをくんでない。目先の楽しい感情に動かされてる。
それが私の観察。

 その一方、自分がその場その場で楽しむことより全体をじっと観察してる子(C)もいる。
全員が見えるところで、いつも、いま何がおきようとしているのか、何を私が起こそうとしているのか
感じ取ろうとしている。
 質問 「いつも大人で、全体を考えて行動してる子がいるけど、誰だと思う?」
数名がCを指さす。

 これからここでやろうとしている大切なことはね、他の人がどう感じているか、人の話をしっかり聞いてわかって、動くってことだよ。
 そういう時に、ここ二人だけで楽しんでるとか、全然、人がどう考えてるか聞こうともしないとかって、こども(おこちゃま)だよね。
 みんなで協力するときに必要な態度ってどんなこと?それができなくていつまでも子どもだったら、社会の一員として働くことだってできないんだよ。大切なことができてないよね。
 
 自分の持ってるいいところ、たとえば、お話を聞いて人よりよくその役の感情や動きがつかめるとか、そういう長所をいかすには、思ってることを人に伝えることだよ。

そんなことをいったあと、子どもたちの行動ががらっとかわった。
このお話を、自分のイメージを出し合いながら、形にしようという集中力ができた。

自分の感じたことを、ことばに出せる子の場合は、どんどん「今、その意見をみんなの前でいったことは本当にタイミングがよかった。ありがとう」ということでほめる。
「いま、○○が、そっちはそんなに静かではないんじゃないって、自分の感じたこといってくれたよね。それってすごくいいことだよ。」
 


 自分の感じたことを、聞き入れてもらえる。それはたぶん子供にとって本質的なところで心地よいんだと思う。
 小学生でもテーマ活動に夢中になるのは、それが大きな理由の一つのはず。
 

「愛された記憶」

日経の「それでも親子」というコラムに歌手クミコさんのインタビューがのっていました。「愛された記憶」が財産というタイトルで。

私もここのところ、親には照れくさくて言えないけれど自分の中ではっきりわかってきたのが親に、愛された記憶、感覚がいかに自分にとって大切な感情かということです。

体験したことのない感情を理解するのは、難しい。寒い国にいったことがない人に、寒いという感情がないように。
何の根拠もないし、現時点で誰から言われるわけでもないのですが、自分の中にある「愛されている」という感覚は、実は幼いころに親から与えられたものだと感じるのです。

 私の両親は幸いなことに健在ですが、もしいなくなってしまっても、私がもらった自分が愛されうる存在だという大事な感覚は、一生消えることがないだろうというのも感じます。いなくなってしまったら寂しいでしょうが、一度自分の中に入っている感覚は消えない。
 かわった人と思われるかもしれませんが、青空に向かって「愛してくれてありがとう。」と言えてしまうような感覚。

 
 以前は、自分が神様から愛されている存在であるということを、まずは親が愛してくれることで体感させてくれる、教えてくれるんだと、逆に考えていました。(神様といっても、特別な信仰心はないのです)
 でも、親が、何のとりえもない、ウィンウィンどころか、世話をしなければならない対象である私という子供、存在を大切にしてくれたこと、そのことが私に、もっと大きな自然、宇宙から愛されていると感じさせてくれる偉大な行為だったのだなあと感じます。
 愛された記憶が財産とは、私についていえばそういうことだなあと。

 クミコさんは「相手が話したいことを聞いてあげることが最高の親孝行」だと思うそうです。
えらい!いつも忙しがってる私にはできてないこと。一日5分でも親孝行しなければね。

2014年2月19日水曜日

ちょっと早いひなまつり オーストリアの方と。

レギーナの作ったひな人形
















はるなのともだちなら会いたいといってくれて、我が家まで切れくれました。
当たり前のようであたりまえでないと感じたこと。「私たちとなにもかわらないね。」どこか何か違うのかなってやっぱりお会いする前は思っていました。これもよく言われることだけど、本当に目の色とか、そんなものだけが違うなと思いました。
 
 

 

2014年1月30日木曜日

「帰国子女のような英語に聞こえるんだ」がなぜか批判に聞こえてしまって悲しかった。

教室のお父さんたちも交えての夜の部壮行会兼保護者会でのこと。
お父さんから、「○○ちゃんの英語は帰国子女のように聞こえるんだ。」と
言われました。
 はじめは褒められてると思ったのですが、どうもサッカーの本田のような英語が
日本人としてのあるべき英語の姿で、ラボっ子のようにペラペラと発音よく話すのは
日本人父としてはなじめず、英語は話す中身が大事であるとの意見。
 夜の部だったのでお酒も入っていての発言だったのですが、ラボママの一人が
それはお父さんたちの勘違いだと激しく反論しくれたほど。

言われた本人は、大学でもただペラペラ話せばいいと思ってる、目的が「ペラペラ」な子が
いるから、指摘はよくわかったよ~と、納得していた様子。

私は、中高生もCD通りでとっても発音がよくなっている子が多いのは、教室運営の成果と
思ってるのですが、発音がいいとこんな風にもとられるんだとちょっとがっかり。
 もちろん、中身はあるわけだし。日本人同士では、早くてきれいな発音だと聞き取れない、
そういう意味なのか?

 私がやっと言えたこと。「いろいろな体験の場を用意して、中身も育ててます。」

それほど発音が良い子たちが増えたのはは、一番上の子たちがまだ小学生だった頃からは
考えられないくらいの進歩です。帰国子女みたいな英語っていわれる純粋な日本人。
これから南米留学でますます日本を外から見直す体験もできるし、「日本人磨き」をしてきて
くれることと思います。


2013年12月26日木曜日

サッカー川島選手著書「本当に『英語が話したい』キミへ」より ~赤ちゃんが母国語を覚えていくような感覚~

「英語を話せることでより生活が楽しくなる」と巻頭からあり、一流選手のいうことは説得力があると思いながら読みました。

幼い頃から英語が話せることに憧れて、中学高校6年間も一生懸命勉強してきたのに、全然話せない川島選手。ここまでは、一般の日本人が残念ながらもたどる道です。

違うのはここから。あきらめられないから高校英語卒業後、語学学習ライフがはじまる。
問題集 英会話学校 英語の歌と必死の試行錯誤でボキャブラリーは増え、知識は積み重なるもどうしても話せない。

旅行でいったオーストラリアで突然、英語がスムーズに口をついて出るようになったそうです。

そこでさらに川島選手が実感した言語習得に対する考え方。「口に出していく回路」の存在を感じ、それがブラッシュアップされていく実感を味わう。
それは、外国語を習得する感覚ではなく、「赤ちゃんが母国語を覚えていくような感覚」に
似たものではないかとのこと。


外国語を話せるようになるというのは、特に子どもの場合、どうやって母語をみにつけたかを振り返ることが、わかりやすいと思います。特訓とか、繰り返し問題集を解くとか、そういう勉強ではなく、気になることば、なんて言ってるんだろう?と思う、自分にとって心が反応するような言葉に出会いつつ、発語する機会を、生まれてはじめてお母さんと会話するような温かい環境で持つこと。

 子どもが、上っ面ではなく、自分の心にまで入れられる言葉を、教材として選ぶのがポイントになるといえます。
 
 




 


2013年10月30日水曜日

「子供の英語教育は何歳からがよいか」と聞かれて・・・。

今日の日経に、その問いに20~40代の親が「0~3歳」との回答が41%、4~6歳が34%と答えたという記事がありました。

 
 
 

 たぶんその世代のたいていの日本人は、中学から英語を教科ではじめて、今現在、それでは話せるようになっていないという苦い経験があるのではないでしょうか。
 すると自分がはじめた12、3歳では遅い。日本語の音だけに慣れてしまう前に0~3歳でという発想はある意味正しいと思います。
 

 でもその記事のタイトルは「遊びながら英語 子供エンジョイ」ということで、玩具、教材、またはセブ島にいるフィリピン人講師とスカイプで英語で歌を歌ったり絵本を読んで聞かせたりするという内容。そちらは受講者は5~7歳がもっとも多く、現在は入会待ちだそう!
 

 日本語を日本人が、玩具や教材で覚えただろうか?スカイプで?目の前にいるとはいえ、ぬくもりもないテレビの中の人物と一緒に歌う日本語番組で、もし日本語を「勉強」していたら?
 言葉って、それで本当には話せるようになるのか。私はやったことがないのでわかりません。
子供の時に、ロンドンブリッジが流れるおもちゃを、サンフランシスコ在住の叔父叔母からおくってもらったことは、今、思い出しました。楽しかった記憶はあるけど、それで話せるようにはならない。

 逆にラボでは、中学生でホームステイしても、「言葉には思ったより困らない。」といえるのは、言葉と関わる仕組みが、母語環境を作れていることの証明なんだなと思います。

 それにしても人間の母語の習得システムは、なんと精密なんでしょうね。その自然の習得システムに、本質的な面が限りなく近くすること。それは、日本人の親が自宅で英語を話すということではない、別のしくみですね。そこをやっていきます。
 
 
 

小3から英語授業  2020年度までの実施を目指す。

文科省検討として、先日の日経に記事がのりました。

その中で、この文に複雑な心境になりました。

「小学校での英語教育を巡っては11年度から5,6年で週一回の外国語活動として必修化されたが、歌やゲームなどを通じて英語に親しむ内容で、読み書きはほとんど指導していない。」
 正直、ラボで子どもと英語に関わる経験から、「これはわかってたよ…。」とちょっと悲しい気持ちで子どもたちのために言いたい。単に、歌やゲームで親しむ程度で、話せるわけがない。
 子どもにとって、これらは、ゲームをやるとき使う約束のことばが、いつもの日本語とちょっと違う、それくらいのものでしかなかったはず。
 たとえば、日本語で「だるまさんがころんだ」をして遊んでるとき、本気でだるまさんをイメージして、それがころんだとこ想像してる人がいるだろうか?
 だるまさんがころんだの遊びに慣れても、楽しくても、それは言葉が自分のこころに入ってくることとは違う。

英語をもともとは全く話せない日本人のお子さんたがホームステイや留学にいけるまでになるよう、日々接する中で、いつも考えていること。
それは、日本の子供たちにとって英語とは何か。大人にとってではなく、その子にとって、英語とは何か?

 
 
 
 歌やゲームを通じて英語を親しむことでは、英語が話せるまでは無理だろうな、もっとラボのやり方で耳から、母語的に英語に出会えたら、英語が嫌いとか難しいと思う子は減ると思う。
 ここはひとつ、小学校にもラボメソッドを取り入れてみたらどうでしょうね。たぶん、話せる子は増えると思います。それには、テューターの数が足りないかも……。